特別展 空也上人と六波羅蜜寺 |
SPECIAL EXHIBITION THE SAINT KŪYA AND ROKUHARAMITSUJI TEMPLE |
In 963, Rokuharamitsu-ji was built by Kuya Shonin, |
― 華やかな色彩が優美な平安彫刻 ― |
「市聖」 「阿弥陀聖」 として知られる空也上人は、平安時代、南無阿弥陀仏と唱えて 極楽往生を願う阿弥陀信仰をいち早く広めた僧侶であり、2022
年は空也上人没後 1050 年に当たります。 |
|
'2022 2_28 報道内覧会 特別展「空也上人と六波羅蜜寺」の会場内の風景です。 |
・No.1 重要文化財 《空也上人立像》 康勝作 一軀 木造 彩色 玉目 像高 117.0cm 鎌倉時代 13世紀 京都・六波羅蜜寺 |
・ 《空也上人立像》 は、鎌倉時代の大仏師運慶の息子である康勝の作です。 |
特別展 「空也上人と六波羅蜜寺」 |
平安・鎌倉彫刻の宝庫 六波羅蜜寺の名品が一堂に
|
~空也上人没後 1050 年にあたり、半世紀ぶりに空也上人立像を東京で公開~ |
「みどころ」 ―特別展「空也上人と六波羅蜜寺」 カタログ、 PRESS RELEASE、チラシ などからの抜粋文章です― |
・1 重要文化財 空也上人立像 東京で半世紀ぶりに公開 |
・2 平安・鎌倉彫刻の宝庫 六波羅蜜寺の名品が一堂に |
「展覧会の構成」 |
'2022 2_28 報道内覧会 「空也上人と六波羅蜜寺」 の各章の概要と会場内展示風景です。 |
第一章 空也上人と六波羅蜜寺の創建 |
|
|
|
・No.5 重要文化財 《四天王立像内(広目天立像、増長天立像)》 二 軀 [広目天] 像高 169.7cm 10 世紀/ [増長天] 像高 179.4cm 13 世紀 京都・六波羅蜜寺 |
|
・No.5 《四天王立像内(広目天立像、増長天立像)》 空也上人は、西光寺の本尊十一面観音菩薩立像(六波羅蜜寺の秘仏本尊として現存)を造立した際、同時に梵天・帝釈天、及び四天王像を造像したと伝えられる。 現在、宝物館に安置される四天王像がこれに相当する。/ ・No.7 《梵字文軒丸瓦》 /・No.8 《三鈷杵文軒平瓦》 古代の寺院においては、修理に際して瓦は破損したもののみを交換し、基本的に再利用される。 出土する瓦のうち、最多数となる軒丸瓦と軒平瓦の組み合わせが、屋根に葺かれた最も古いものと推定される。 六波羅蜜寺の場合、軒丸瓦は梵字文あるいは輪宝文、軒平瓦は三鈷杵文を主文様とするものがこれにあたる。 |
'2022 2_28 報道内覧会 「空也上人と六波羅蜜寺」 の各章の概要と会場内展示風景です。 |
第二章 六波羅とゆかりの人びと |
|
|
|
・No.9 重要文化財 《地蔵菩薩立像》 一 軀 木造 彩色 截金 像高 151.8cm 平安時代 11 世紀 京都・六波羅蜜寺 |
|
・No.9 《地蔵菩薩立像》 仏教説話集の 『今昔物語』 に収録される、地獄に落ちた中級貴族の源国挙が地蔵菩薩の助けにより蘇生したことから、平安時代を代表する大仏師定朝に地蔵菩薩像をつくらせ六波羅蜜寺に安置した像に該当する。 /No.16 《伝湛慶坐像》 運慶の長男・湛慶 (1173-1256) 鎌倉時代の慶派 (名に慶の一字をつけるものが多いい) 仏師。 東大寺再興など祖父康慶、父運慶の造仏事業に働いた。 /・No.17 《伝平清盛坐像》 六波羅の地には 12 世紀後半に平氏の邸宅が建ち並んでいた。 六波羅から三十三間堂の南の八条まで平家の邸宅が並んでいたというが、寿永 2 年(1183) には一門は邸宅に火を放って都落ちする。 平氏滅亡からそれほど時を隔てない時期の像。 |
'2022 2_28 報道内覧会 「空也上人と六波羅蜜寺」 の会場内展示風景で、作品と表示ポスターの抜粋です。 |
・No.11 重要文化財 《閻魔王坐像》 一 軀 木造 彩色 玉眼 像高 89.2cm 鎌倉時代 13 世紀 京都・六波羅蜜寺 |
・ 「六波羅蜜寺」 京都市東山区五条通大和大路上ル東 075-561-6980 http://rokuhara.or.jp |
令和 4 年(2022) 5 月 22 日(日)に、六波羅蜜寺の新文化財収蔵庫 「令和館」 が開館します。 「空也上人立像」 「伝平清盛坐像」
(いずれも重要文化財) ほか、六波羅蜜寺に伝わる平安・鎌倉時代の彫刻を新しい空間で拝観いただけます。 |
六波羅蜜寺は 963 年、後醍醐天皇の第 2 皇子である空也上人によって開創されました。 西国三十三所十七番札所。 本尊は秘仏の国宝十一面観音立像で、12
年に一度、辰の年に開扉される。 |
「六波羅歴史散歩」 六波羅蜜寺の立地は、平安時代、京の葬の地・鳥辺野の入り口だった。 地蔵尊を祀った西福寺の角に「六道 (天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄) の辻」の石標が立つ。 「この世」 と 「あの世」 の境界の意味があり、この辺りは死と隣り合わせの土地であるため、冥界への入り口と考えられた。 この界隈は平家ゆかりの地でもある。 平安末期、平清盛の祖父正盛が邸宅を構えたのが始まりだ。 平家一門の邸宅は 「六波羅第」 と呼ばれ、往時その数 5千を数えたという。 一門が壇ノ浦の戦いで都落ちした際に火を放ち、今は六波羅蜜寺を取り囲む清盛ゆかりの 「三盛町」 や 「池殿町」、平家の惣門に由来する 「門脇町」 という町名にその名残を残すのみだ。 |
お問合せTel:050-5541-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:報道内覧会、特別展「空也上人と六波羅蜜寺」カタログ、 PRESS RELEASE、チラシ 他。 |
ご意見ご感想は yashio@mui.biglobe.ne.jp |
Copyright © 2002-2022 Yashio.ALL Rights Reserved. |